南方録

南方録

南方録

 茶道の聖典である南方録(なんぼうろく)にいよいよ手を出してみた。利休の言行をその弟子が記録したという体裁の秘伝書である。
 現代語版には抜書きしかないので、全体を読みたければこの原語版にあたるしかない。漢語交じりで専門用語だらけの古文を読み通すのは大変につらかった。
 かなり分厚い本なのだが、かなりの割合は利休の言行以外の記述で占められている。台子の点前における複雑な飾り方解説や茶会の記録などだ。現代に通じる利休の教えは点在しているので探し読みすることになる。なるほど、なぜ現代語で完訳されたものがないのかを理解できた。これは完訳しても仕方が無い。
 様々な書に記されている利休の言行に関しては、この南方録が元ネタだった。おいしいエピソードはほとんど取り上げられ済みのため、茶道の本を読んできた人にとって新たに知ることは少ないだろう。南方録ならではの記述としては、カネワリ法なる配置方法など、陰陽論に基づいた茶道理論が挙げられる。これが実際の茶道に活かされているのか、それとも秘伝の体裁を整えるための神秘的記述なのかは、不勉強なものでまだ分からない。
 南方録そのものは、偽書の可能性が高いそうである。当時使われていなかったはずの用語である露地が多用されていることや、作者とされる人物が百歳を超える計算になるなど、信憑性に欠ける箇所が多いからだ。写した人ということになっている立花実山こそが作者なのだろう。この彼は博多人で、南方録中に、博多での野点のすばらしさや、博多は茶道に素直で熱心な良いところであるといった博多絡みの記述が多くてほほえましい。
 偽書とはいえ、当時の資料を基にしてまとめられたと思われるため、資料価値は高いそうだ。確かにこれを否定してしまうと、利休のエピソードは大半が嘘だったことになってしまい、利休をまともに語ることすらできなくなる。理屈を超えてどうにも否定しようがない、茶道における聖書であるといえよう。